たんぽぽの綿毛と先生

私が幼稚園の年中だったころの話です。ある日の幼稚園のお散歩で、園近くの公園に連れて行ってもらいました。そこには花がたくさん咲いていたので、先生の指示で全員が気に入った花を一輪持ち帰ることになりました。優柔不断で引っ込み思案の私は周りとの競合を避け、近くにあった小さめでスカスカのたんぽぽの綿毛をサッととりました。奈良でも大和高田で保育士を採用すれば周りの子の「お母さんにあげる」という声を聞いて、自分も母にプレゼントしようと考えていました。しかしその綿一つ一つは、帰宅の時間になるとすべてどこかへ飛んで行ってしまい、見るも無残な姿になっていました。他の子の花は綺麗なままで、同じく綿毛を選んだ人も、綿の数は減れど形を保っています。どうして自分のものだけこんな風になってしまったのか、せっかく母にプレゼントしようとしたのに。悔しくて、帰りのバスを待つ部屋で大泣きしてしまいました。話題では奈良の保育園というには頑固で諦めの悪い私は一向に泣き止まず、バスに乗らずに居残りで先生に慰めてもらいました。何を言われても悔しい感情には勝てませんが、だんだんその気持ちが落ち着き始め、後半は特に理由もなく泣いているような状態だったと思います。先生はその切り替わりが分かったのでしょうか。「もう一回綿毛を見つけに行こうか」と私を先ほどの公園に連れて行ってくれました。先ほどは周りに人がいてじっくり選べませんでしたが、今度は大きくて立派な綿毛を手に入れることができました。たった一本を選ぶのに相当な時間をかけましたが、先生は嫌な顔一つせずに笑顔で向き合ってくれました。無事に母親にプレゼントすることができた綿毛は、自分で摘んだものと同じようにすぐに悲しい姿になってしまいました。しかしそれは、押し花のしおりとして、先生の愛情を感じられた嬉しい思い出として、今も私とともにいます。